義務教育とスクールカウンセラー

はじめに
スクールカウンセラーや相談員から耳にするのは、ときにカウンセラーが、教師や保護者など、他者の存在や影響を生徒に対する支援の弊害と感じていることです。生徒に発達障害が疑われるのに、保護者はそれを感情的に否定する。担任が生徒の医療的支援の必要性を認めない場合などです。

臨床経験をかさねたカウンセラーには、その生徒の問題といわれるものの原因の把握や対策にさほど苦慮なく算段が立つでしょう。○○障害の可能性が高い。だからこうする必要がある、ああする必要があるというぐあいです。

しかし、その生徒の問題について、教師や保護者に、ああすればよい、こうすればよいと言ったところで、なかなか思いどおりにはなりません。生徒のためを思えばこそのアプローチなだけに、意気をくじかれるのです。


スクールカウンセラーのはたらき

クライアントは誰なのか
スクールカウンセラーは、相談室にすわる生徒をクライアントとして迎え、面談します。しかし、スクールカウンセラーのほんとうの(一義的な)クライアントは、相談室にすわる生徒ではありません。

というのは、生徒がみずから報酬を納めてカウンセラーと面談をするのなら、あるいは、生徒との個人的な契約で面談をするのなら、その生徒がほんとうのクライアントといえましょう。

しかし、実際にカウンセラーにお金を払ってでも何とかしてほしいと思っているのは生徒ではないのです。

スクールカウンセラーと契約し報酬を納める契約者、納金者がほんとうのクライアントです。ここではそれを、教育機関と呼んでおきます。スクールカウンセラーのクライアントはあくまでも教育機関です。スクールカウンセラーが、生徒や保護者から直接 金品を受け取るのが不適切なのは、そのためです。


クライアントの問題
スクールカウンセラーは、クライアントの問題を、相談室にいる目の前の“生徒の問題”と捉えて、支援の手立てを講ずるだけでは不十分です。厳密には、それはスクールカウンセラーのほんとうのはたらきではありません。

実際、生徒の問題といわれているそれは、保護者や同級生、あるいは教師など他者との関わりと、その関わりにおけるひずみが、生徒の反応にみられ、その反応を生徒の問題と称しているにすぎないのです。

ですからスクールカウンセラーは、登校しない生徒を問題視するのではなく、多動の生徒を問題視するのでもありません。そうした生徒と、学校がどうかかわっていくかということを問題視するのです。スクールカウンセラーのはたらきは、そうした生徒が必要とする支援を受けるために、学校における職権と職務が適切に機能できるよう支援することなのです。


クライアントの背景
多額の公費を費やし、高い競争率を勝ち抜いた選り抜きの人材を教師として抱え、彼らの英知を結集させた教育機関には、授業中に教室で暴れる生徒や不登校の生徒を前に、何が問題と自覚されているのでしょうか。そのような生徒を前に、頭を抱える学校の背景にあるもの、つまり学校の負っている責務、限界などをスクールカウンセラーは理解しておかなければなりません。

義務教育とは社会による生徒の社会化。強制的なはたらきかけです。義務教育では、同じ授業を同じ時間に同じ場所で一同に受けなければなりませんし、受けさせなければなりません。もともと無理があることなのです。レストランに居合わせた100人の客に、一同に同じメニューの注文を期待するようなものです。

そう考えると、学校内で生徒の大半が登校して適切に授業を受けているとすれば、それはかなりの労力の成果です。物分かりがよく我慢強い子供たちと、少しでも居心地よく過ごせるよう気を配る教師たちの努力の成果です。スクールカウンセラーによる生徒に対する支援は、こうした義務教育における制度のひとつです。


スクールカウンセラーの姿勢

情報の共有
スクールカウンセラーの基本的な姿勢は、各関係者、とりわけ教職員の間で、その生徒に関する“情報の共有”を、目指すことです。ある問題の分析や原因究明よりも、その問題に関する情報の共有を目指すほうが優先です。その生徒がどういう気持ちでいるのか。担任は何を考えているのか。保護者はいまどういう状況にあるのか。教職員ができるかぎり、誤解なく了解しあうことです。その上で、広く問題の分析や原因究明がなされるのが望ましいのです。

スクールカウンセラーが勇み足になって、教職員を説得しようとするのは望ましくありません。

それで、情報の共有を目指すスクールカウンセラーは、①正確な情報収集と、②適切な情報提供を心がけます。


情報収集
正確な情報収集の代表的なものは、面談などを通して生徒のはなしをきくことです。カウンセラーとしての基本的な任務です。はなしをきくということについては「カウンセリング-その体系と心得」で述べてあるとおりですが、あえてここで述べるのは、クライアント(その生徒)の語られる実態と、語られた内容に基づいたスクールカウンセラーの所見を混同させないことです。

教職員が把握すべきことはクライアントの実態であり、実態に基づいて、その生徒の支援の必要性や、手段を吟味検討できるような支援が望ましいのです。スクールカウンセラーの所見が、必要以上に先走ると、教職員はついていけずに混乱、へきえきし、悪くするとカウンセラーと教職員との間に溝が生じます。


情報提供
適切な情報提供とは、会議などでの発言や報告書類の提出などですが、その際、まず注意したいのは、やはりスクールカウンセラーの所見と、その生徒に関する情報を混同させて伝えないことです。

スクールカウンセラーが、例えば、ある生徒に発達障害を疑い、医療的支援が必要なことを、教職員に周知させようとするメッセージは所見です。その生徒に関する情報とは、まずスクールカウンセラーがその生徒に発達傷害の疑いを感じるにいたったその生徒の言動であり、それをより正確に伝えることです。

医療的支援の必要性などは、伝わった情報をもとに教職員によって吟味されること。そのうえで、スクールカウンセラーの所見が問われるのが順当です。

同時に、スクールカウンセラーは教職員が、知らされる情報を適切に受け取れるよう配慮する必要があります。例えば、「発達障害の疑い」という言葉が、なにをいわんとしているのか十分理解されないうちにもちいては、誤解を招きます。それならば、われわれの手には負えない・・・。と、なってしまうわけです。あるいは抽象的な表現ゆえにその生徒を具体的にあらわすには不十分なのです。

発達障害にもいろいろあるわけです。その場合は、「○○の活動について機能上の制限が疑われる。」とでも述べるほうがまだ誤解されにくいのです。スクールカウンセラーには、教師たちにかかるプレッシャーを最小限に、教師たちが考えやすい、考えざるを得なくなるような伝えかた、アプローチが求められます。


守秘義務
守秘義務の範囲については、来談者である生徒の秘密が守られるのを優先に、関係者にとって必要と思われる情報はできる限り広く了解されている必要があります。スクールカウンセラーは、たいてい学校長の指揮下に入っていますから、守秘義務とともに報告の義務もあります。ですから守秘義務と称して何の報告もしないというのは不適切です。

教職員にとって必要と思われる情報を、できる限り共有するということは、同時に、共有される情報が、守秘義務にあたるものであってはならない。ということを意味します。つまり、その生徒から、語られた内容の扱いについて、信頼と理解が得られるよう配慮しなければなりません。

先生たちもカウンセラーもその生徒のために、自分たちになにができるか、考えたいと思っていること。その姿勢をカウンセラーは学校を代表して明確に示さなければなりません。


公益通報
スクールカウンセラーは、誰かの身体生命が脅かされたり、人権や尊厳が侵されていたり、民主主義に反する状況が認められるにもかかわらず、適切な対応が取られない場合、ときに組織の一員としての枠を超えて、緊急対応や公益通報ができる、気概と勇気を備えていなければなりません。ここでいう公益通報とは、上記のような問題の是正を目的に、その要因となっている当該者の不備不正を当該者の意に関わらず、関係者に伝えることです。

教職員の中には、スクールカウンセラーの存在自体を快く思っておらず、感情的にスクールカウンセラーと姿勢を異にするものも、少なからずいると聞きます。とにかく事が広がるのをおそれ、なにもしたくないあまりに、学校で起きている問題から目をそらし、起きていることを何とか些細で取り上げるに足らない件としてやり過ごす。提起されれば、感情的になって抵抗するケースもあるようです。生徒に医療的、精神医療的支援が必要なのをどうしても認めたくない保護者が、外部からの支援を拒絶し続けるケースもあるようです。

スクールカウンセラーは、学校長の意向に十分配慮し、また通報に先立って、できる限り、当該者が是正にいたれるよう、十分な援助と猶予、あるいは警告を与えます。その上で、自らの自覚する職業倫理と、社会正義観、そして良心に従って、冷静に慎重に行動することになります。

通報後には、スクールカウンセラーが孤立無援になり、学校を去る可能性は十分にあります。ある問題が通報によって解決されたとしてもそれによって別の問題が生じ、結果として別の不利益が生徒に生じることも十分に考えられます。ですから公益通報は、緊急事態を別に、長期的、多面的、総合的な観点から、教育機関にとって本当に有益であると判断される場合にのみ実施します。やむをえない最後の手段です。

カウンセラーは在任中の尽力の成果を見ようとしてはなりません。カウンセラーは自分が去った後に実る成果を信じて、その1%に貢献できたことをよしとしてください。